語彙力グランドフィナーレ

大人になった。年齢的な意味で。

 

その気が無くてもガンガンと年齢があがり、あらゆる事が許されない年齢になった訳だが代わりになんかしらの能力がアップしたかと言うと全然そんな事は無い為困ったものである。

 

昔に比べれば出来る事は増えたが、それはスキルアップとか新しい私デビューとか言う輝かしい物ではなく、単純に恥を捨てただけの事だ。重りを取った悟空がアホみたいに強くなったと錯覚されたように、今手にしている余計なもの、責任感や良識、恥などを捨てれば人間は本来ある力を簡単に発揮出来るようになる。

周りを見渡せば「ばつ1」しかいない糞下町に住んでいる僕が言うのだから間違いない。夫婦を見かけてもお互い「ばつ1」だ。そして全員漏れなく強い。

この町は一つも油断出来ない。

 

装甲を捨てれば防御力がダウンすると言うのは当たり前の話であり、プリウスに引かれただけで死ねるので殺られる前に殺らねばならない為、全員チャンスは逃さずに人の失態を見れば貶しにかかる。その為、糞下町の人間は総じて口が悪い。

 

防御力が皆無な為、口が悪いくせに臆病な小物が多いのも特徴であり、せめてもの防御にとやたら「義理人情」「仲間」とかほざいている。しかし「下町は義理人情に厚い」とよく言われているので、どんな嘘でも言い続ければ真実になると言ういいモデルケースになっている。

実際、そんな薄っぺらい包帯のような痛々しい嘘をついてでも自分を守らねばならない程に、我々はすぐに死ぬ。装甲をちゃんとつけていた子供の頃の方がアホみたいに頑丈であった。

昔は、掘り起こされた古代兵器のような冷徹さでゴキブリを瞬殺していたのに今はちょっと狼狽えてしまうし、その辺に転がってたBB弾をチョコかと思って口にいれていたのに今は賞味期限が一日過ぎただけのシュークリームにびびって食べようかどうしようか迷っている。動物園で百獣の王、ライオンさんを見て「チンすれば食える」と思っていた強い心を取り戻したい。

子供の時は虚無から産み出せた友達も、今は酒と金を素材に錬金術を駆使しなければ作れない。その癖、子供の時に作り一緒に富士山の上でお握りを食べた100人の友達を富士山の火口に落としてしまうのが大人である。記憶力も衰えているので「子供の頃からぼっち」とか平気で言う。大人はみんなサイコパスだ。

防御を捨てた代わりに手にいれた物が諸刃の剣の為に、いらん苦労をしながら日々を泣き泣き過ごしている訳だが、この現状を打破する為に必要な物はやはり攻防一体の武器であろう。大剣でガードである。美人やイケメンであればその面がもう「攻防一体の最強の武器・エクスカリバー」なのでぶら下げて歩けばいいが、悲しい事に僕の面は「攻撃も防御も出来ないガラクタ・エクスカリパー」だ。

 

では、そのおおよそ地球向きのデザインでは無い顔を引っ提げてこのろくでもない素晴らしき世界で生きていく為にはどうしたらいいか。

知恵である。攻防一体の最強の武器…より一歩劣る代替え品、知恵である。

よく回る頭と語彙力、これが何より重要だ。多分。知らんけど。

 

語彙力さえあれば、説明等も楽に済む。僕には無いので「アンコールってなぁに?」と澄んだ瞳で聞かれても「あの~ほら、コンサートとかで一通り終わった後にこう…観客がもっと~ってやると、暫くしてから演者達がノコノコとステージに出てきて…何をするでもなく…なんとなく歌って…もっかい帰る…みたいな事をする奴だよ」となってしまい、最終的に「モミの木かお爺さんに聞きな」と丸投げして逃げるだろう。

前に「妙にSっ気を出してくる攻め」は嫌だなぁ的な話をしたが、あれも「先にこちらがSっ気を出す」と言う先制攻撃で相手の出鼻を挫いてやれば避けられる悲劇だ。

だが、前途の通り僕に語彙力はない。もう無理だ。

Sっ気を出そうとしても「お前なんか~あの、アレ。もう、なんだ?そのー、ほら。お前は~あれだ。ダメだ!ダメだお前は!!」みたいになってしまうし、これでは流石のMも「…お手本見せましょうか…?」と苦笑いを隠せなくなるであろう。

語彙力が無い奴はいつも心に架空のM男生き字引を持ち歩き事あるごとに「ここで…豚野郎…豚野郎…(小声」と仙波吉兆ごっこをして貰わなければSっ気の一つも出せないのである。ハードモードが過ぎる。

流石に心にM男を忍ばせるのは…と言う場合は、語彙力をあげる為に「猿でも分かる女王様」みたいな本を買って勉強するしか無いと思うが、この手の本は見つかったら地獄だ。

「わ~勉強頑張ってるんだなぁ」と思って貰えたならいいが、「…本当はこういう本みたいな事を言われたいんじゃ…」と自分の性癖だと勘違いされたら、とんでもないすれ違いが生まれてしまうし、すれ違い=お別れの季節である。いつでも恋はすれ違った所から終わる。知らんけど。

こっちが一生懸命に語彙を仕入れてきても、相手は「こいつ…、偉そうに、俺にアイアンメイデンされたいんだろ?とか言ってるけど本当は頭ピーマンのモロキュー野郎、ママのケツでも舐めてな!って言われたい側の人間なんだよな」と思っている事になるのだ。これが終わりで無くてなんだと言うのか。

 

語彙力の無さはあらゆる事に障害をもたらしにかかる。

例えば僕が「将来は警察官になりたい!!」と思った所で、左右の区別がつかない語彙力の無い男がパトカーに乗ったら、どうなるか?ファンファンとサイレンを鳴らしながら拡声器を持ち「右か左に曲がりまーす、右か左に曲がります、どいてー、どくか止まるかいい感じにしてくださ~い」と叫ぶ羽目になるだろうし、立てこもった犯人を説得する時も「なんか~あの~…大変っすよね…でもあの~その~…嫌だなぁって思う人とか?その、どっかにいる誰か、お母さん的な…そう、お母さん的なのがこう…ふえーんって…なるんじゃない…かなって…思うんですけどねぇ…」みたいな感じになってしまう。これでは全米も犯人も泣かない。当然「カツ丼食うか?」とか小粋な事は言えないので「美味しい奴食べる?」となってしまうだろう。

犯人を捕まえても「なんかすごく悪いことをしたアレで逮捕だ!」となるし、記者会見を開いても「なんかすごい悪いことをした奴をマックで捕まえました!」となる。警察官への道は諦めるしかないだろう。

語彙力がないせいで夢の一つを諦める事になるのである。悲劇。

 

本当なら大人になる過程で自然と語彙力って奴は高められ、防御力がマイナスに差し掛かってからも戦えるようになっていると言うのが自然の摂理の筈だったのだが…時代が悪い。そう、インターネッツが!

我々が野山を駆け回り、太陽の下で皆でお歌を歌っていればこんな事にはならなかったのだが、残念ながら電脳世界で終始真顔のまま「ワロタ」とか言い続ける時代に生まれてしまった。

インターネッツと言うのは、実に簡単に「自分の好きなもの」を見つけられる素晴らしき世界である。しかし、「自分の好きなもの」と言うのは一番語彙力がいらないコンテンツである。「尊い」とさえ言っておけばなんとかなるし、もう一言なんか言いたいなと思ったら適当に「死」とか言えばいい。好意が一周二周と回り続けると語彙力が熱暴走を起こして、大好きな美少女アイドル15才に向かって「体つきが経産婦みたいでエロい」とか貶してるようにしか思えない誉め言葉を量産する不具合が出るのだが、そこまで辿り着く奴は稀だ。

インターネッツのコミュニケーションなんてものは「こん」「よろ」「おつ」「あり」「死ね」さえ言えればどうとでもなるので語彙力なんて物は鍛える必要が一切ない。

いつの世にも天才と言うものは存在するもので、「2文字を五個覚えれば問題ない」世界線において「分かる」「それな」と言う更に一歩踏み込んだコミュニケーションを実現させながら、一切語彙力を使わないと言う人類には早すぎたオーバスペック言語を産み出してしまった事でより語彙力の死滅を早めてしまった。罪な事である。

 

僕がウダウダと枯渇した語彙力を振り回して搾り取ったカス汁みたいな文章ですら「分かる」と言われればその時点で終わりだ。勝てない。

インターネッツ上だけで言えば、争った所で口喧嘩で収まる事が殆どなので、如何に本人たちとしては燃え盛る本能寺の中で殴り合いと言う心境だったとしてもどうって事は無いのだが、この宇宙はどうかしてるので、インターネッツで死滅した語彙力をリアルに持ち出して戦わなければ餓死と言う意味不明な設定となっている。

語彙力の無くなった奴同士がリアルでエンカウントするとどうなるかと言うと、燃え盛る本能寺の中で殴り合いと言う事になってしまう。これも子供の頃だったらお互いにバリアーもビームも繰り出し放題の無敵状態なので結果として双方無傷と言うことで事が終わるが、大人はカスなのでバリアもビームも出せない。己の拳一つでTHE暴力と洒落こむしかないし、それで勝利したとしても待っているのは「すごく悪いことをした罪で逮捕」である。

 

語彙力がなかったと言うただそれだけの事で人生はデッドオアダイだ。

語彙力さえあれば、勉強も部活もうまく行き、彼女も出来て嫌いなアイツは行方不明になる。

そして語彙力を手にいれるのに最適なのがそう、みんな大好きシンケンゼミなのである。

当然俺もやってた。おかげでこの有り様だ。