リセット!リセット!リセット!

はてなブログさんが掲げる今回のお題がなんか知らんが4つもある。

下手な鉄砲をご陽気に乱射しているところ申し訳ないが、一つも楽しそうなお題がない。

「好きな〇〇10選」あなたは何を選ぶ?

はてなブロガーに10の質問」答えてみませんか?

熱く語ろう!「私が〇〇にハマる10の理由」

と、時代遅れ感をヒシヒシと感じる三つと

「10年で変わったこと・変わらなかったこと」があなたの今を作る。と言う何も言ってないに等しいお題が一つだ。春が終われば夏が来ますみたいな事を言っているだけなのにこんなにムカついてしまうのは何故だろう。

「当たり前」に「意識高い感じ」と言うエッセンスを加えるともれなく人をイラつかせる事が出来る。嫌いな相手に片っ端からぶつけていきたいお題だ。

 

しかし、嫌いな相手にこのクソムカつくお題をぶつけた所で当の本人が答えていないのでは「でもお前も答えてねぇじゃん」と言う正論で切り返され敗北を喫してしまうので、確実な勝利、つまり相手に死を迎えさせる為にこのお題に答えていこうと思う。

人の一番の原動力は憎しみ。その為なら馬糞だって食える生き物だ。

 

利用層がそんなに若いとも思えないのに10年とか言うあまっちょれぇ期間設定をされてるせいで、少しずれてしまうのだが、20年ぐらい何も変わっていない物がちょうどある。

ズレてんじゃんと言われるかも知れないが、大は小を兼ねるものだし、数字なんてのはデカければデカい方がいいに決まっている。

千円より一万円、一万円より一億円である。

 

20年変わっていない物、それは髪型である。

正確には伸びたり縮んだりを一定の周期で繰り返している為、常に同じ髪型と言うわけではないが「伸びたら切る」を延々と繰り返し、20年全く同じ注文をし続けているので頭部だけがタイムリープをしている。

その髪型を気に入っている訳でもないので、切るタイミングは「邪魔だなぁ」と思い始めて気が向いたらと言う拘りの欠片もない適当さで、注文の仕方が変わっていないので髪の毛を切る=小5男子みてぇな髪型に戻るということになる。

 

つまり社会人になった今も頭部だけは小学5年生、3か月ぐらい経って防御力に特化したスダレ付きヘルメットみたいになったら、再び3か月前に戻ると言うのを20年繰り返しているのだが、これが今の僕をどう作っているのかは不明だ。

頭部だけを置き去りに時の流れに身を任せている人生なのでふと気が付いた時には先日まで小5だった頭部が突如お爺ちゃんと言う頭部だけ浦島太郎状態に陥る可能性がある。頭部の中に内蔵されている脳味噌だけは別個で時間を進めているなんて器用なことは出来ないので、当然頭脳もいまだに小学生であるし、ある日突然お爺ちゃんになるのだと思う。

風の噂で聞いた所によると人間の脳と言うのはスーパーコンピューターにも劣らないと言う人類自慢のオーパーツらしいが、こんな時空の狭間に閉じ込められて実に哀れである。

 

備え付けられる人間ガチャに見事に失敗した我が哀れな脳味噌に一応言い訳をしておくと、僕とて決して小5とヘルメットを繰り返す頭部ウロボロスの輪を断ち切ろうとした事が無いわけではないのだ。

オサレなヘアーにしようと思った事はある。なんなら今からでも「キミの頭部を閉じられた時間の中から解放したい」と、選ばれし勇者だけが岩から抜けると言う伝説のハサミを掲げたイケメンに囁かれたら秒でオサレヘアーに変身し、頭部も人生と言う旅に同行させてやるつもりである。

 

しかし、この腐敗した大地には当然勇者などいる筈が無く、小5の頭脳でオサレヘアーとは何かを理解出来る訳もない。分からない物は注文出来ないし、注文出来ない以上髪の毛は再び3か月前のあの日に戻ってしまうしかないのだ。

僕が、髪切人のインスピレーションを刺激出来るようなイケメンであれば「おまかせ」で素晴らしい髪型に生まれ変わる事も可能だったかも知れないが、こちとら似ている芸能人はトッポジージョである。

しゃぁしゃぁとおまかせなんてほざいた日には荷の重さにビビった美容師がそのままハサミを置いて田舎へと逃げ帰ってしまうかも知れない。

もしくは「ではまずこちらの屏風からオサレな顔面を出してみてください」と言われて、こちらが「もうこの街にはいられない」と荷物をまとめて田舎に帰る羽目になるだろう。

つまり「おまかせ」「オシャレヘアーにしてくれ」と言うのは「俺かお前、どっちかが死のうぜ」と言う滅びの呪文なのである。

そんなロックな真似は出来ないし、よしんば出来たとしたら今頃髪型はピンクのモヒカンとなり頭部だけが時代の最先端へと走り去っていた筈だ。

 

本当に小5の時であれば、小5と言わないまでも中学生、高校生ぐらいの時に「このままだと頭部だけが時空の狭間に取り残される」と気付いていればまだ良かった。

その時なら、「オシャレヘアーにしてくれ」と言っても、若人の無謀な挑戦で済んだし、失敗した所で世の中に掃いて捨てる程ある黒歴史が一つ増えるだけだった。

それこそ、オシャレヘアーにしてくれと言う無理難題を突如押し付ける美容通り魔みたいな真似をしなくても、髪型を菅田将暉にしてくれ的な「別にお前が言うんやったらしてやるけどどうなっても知らんで?」と言う誰を恨むことも出来ない自己責任による破滅へと持ち込むことが出来ただろう。

そして一回失敗した人間と言うのは強い。何しろツラの分際で一回髪型を菅田将暉にしているのだ。何も怖い事はないだろうし、一生エキセントリックな不細工として世を生き抜くとしても、産まれた時から一緒だった頭部も一緒だ。仲間も多ければ多い方がいいに決まっているのでさぞや心強い人生を送れただろう。

 

しかし社会人、それもアラサーになってから突如「髪型を菅田将暉にしてくれ」は自爆テロと一緒だ。恐らく一生髪型が菅田将暉にならないので美容師と僕の二人だけが閉じた時空の中に閉じ込められる羽目になるだろう。もちろん、髪型を菅田将暉にさえ出来れば出れるが、恐らく神が「菅田将暉だな(髪型は)」とは判定してくれないので詰みだ。

超絶技巧を持つ国宝級の美容師の奮闘によって5億年後に「髪型は菅田将暉判定」を貰ったとしても、今度は「この前まで小5みてぇな髪型だった奴が突如菅田将暉」と言う大喜利の素材を頭部にぶら下げて歩く羽目になる。

もう失敗が許される年齢ではなくなってからのソレは、キツい。

まともにおはようと言う挨拶が人と交わせるかすら自信が無い。「おは、わ」になるのではないか?

 

そもそもこちとら自意識を拗らせた厄介なクソダサボーイである。

菅田将暉とまで行かなくても、ちょっと髪型を年相応なまとも風のものにした時点で人から「あ、静止していた頭部の時を動かそうとしている」と思われたらどうしようと思ってしまう。

頭部の時が同じ時間軸を繰り返しているのを気にしてたんだ~と思われるぐらいなら、一生「小5の三か月」を繰り返すわいなと言う事だ。

 

ダサい奴には二種類いて、楽しんでダサい奴と、何一つ楽しんでなくてダサい奴があるのだが、僕は圧倒的な後者だ。これに関しては「我こそは何も楽しめないダサい奴だ!!」と名乗る奴がいれば譲るが、代表になってもいいと思っている。

楽しみながらダサい奴は、本人が「これはいい!」と思ったものに囲まれているのでダセェと思われていても魅力に溢れているし、その姿勢をオシャレと判断する奴もいるだろう。

しかし楽しんでない奴は「だらしねぇ無頓着野郎」なのだ。

しかも「無難に見せようとした挙句ダセェ」と言う最悪の着地点に到達している事が殆どだ。

こういう奴は性根も終わっている。

楽しんでダセェ奴は「オシャレだね!」「かっこいいね!」「それいいじゃん!」と言われれば素直に「ありがとう!だよね!!」と言うだろうが、楽しんでない奴は褒め言葉を疑うだけならまだマシな部類で突如敵意を向け「うるせぇ、俺の外見を構成している物質全てに二度と触れるな」と思ってしまうのだ。

 

しかし急に髪型が3か月前に戻れば大概の人間は「さっぱりしたね」と言ってくる。

「髪切ったんだ」と言う世間話なので適当に流せばいいのだが、何しろこっちは性根が終わっている為、相手がこちらを斬ろうとしていると言う妄想に取りつかれ「うん、小5ヘアにしてきた」と、自意識こじらせ野郎にありがちな「おまんに斬られるぐらいなら己の手でぇ!!」的な武士魂を目覚めさせ、突然の切腹を相手にお披露目してしまうのだ。

頭部がタイムリープしている為、当然3か月に1回の確定イベントとして切腹していると言う事になる。

 

そろそろ周囲の人間も切腹に飽きている頃かも知れないので、こめかみに銃口を当てて自殺などに変えた方がいいかも知れない。

 

時代遅れな切腹よりも数億倍オシャレな気がする。