蟲毒の虫、世界へ。

老いも若きもたのしく研究。

 

はてなブログさんが掲げる今週のお題だそうだ。

今まで「おとうさんへ」だの「残暑見舞い」だのだったのに、急にどうしたのか…と思ったが、夏休みの自由研究の事を言っているのだろうか?

一足遅い。まぁ、自由研究の本場、小学校の物が終わってからじっくりと跡地を漁って見ませんか?と言う事なのかも知れない。

 

最近ブログをカタカタする度に、はてなブログさんか掲げる今週のお題に噛みついてしまっている。お題に沿う気が更々無い…と言うか、沿えないのだが、とにかく無視をすれば良いものに一々タックルかましてしまうのは一体なぜか?

 

人間の病理、こじらせである。

 

このこじらせって奴は一回やらかすと完治が非常に難しく、中二病よりも遥かに厄介な病気である。中二病なら本人たちは全力でこの世界を謳歌してらっしゃる節があるので救いがあるが、こじらせは生けとし生けるもの全てに攻撃を仕掛けながら本人たちも別に楽しんでいないと言う、典型的な誰も幸せにならないタイプの病であり、他人の不幸は蜜の味だから全員不幸になったら結果幸せみたいな寝言すら通用しない終末思想に染まる羽目になる。

 

精神をこじらせるような奴は「一つの事に夢中になる」と言う青春体験をした事が無いので、こじらせすらも長く続かず、ある日突然芸能人の結婚に感動してお祝いしてるかと思いきや、一ヶ月ぐらいで出戻ってくるパターンが多い。そう簡単には完治出来ないのである。この潜伏こじらせ菌を保有した奴がリア充の巣窟に身の程知らずにも飛び込んだ挙げ句コミュニティを破壊すると言うバイオテロを引き起こす場合もあり、こじらせた奴だけを隔離するのはゴキブリを駆逐するよりもインポッシブルミッションとなっており、今もなお日本中を阿鼻叫喚の渦に巻き込んでいる。

 

基本的にこじらせた奴は下町スラムの居酒屋にたむろって、ベラベラと生産性の欠片もない話を夜更けまで続けては太陽が昇ると同時に眠りにつくと言うゾンビみたいな生活をしているのだが、この純粋培養こじらせ隔離施設の中にいても突如「善の心」に目覚める奴もいるのだから人間って奴は複雑怪奇である。

 

例えば、運の無い初見がうっかりこじらせの巣に迷い混んでしまったとして、我々は常に仲間を求め続けるどこまでも完璧なゾンビなので即座にフレンドリーな挨拶と共に内輪に引き込みにかかる。

そこでその初見奴が世間話として「普段はあまり意識していないんですけど、私には借金があるんです」と言い出したとする。ここで我々はそこに高橋名人なんざ目じゃねぇ速度でイイネを連打しながら詳しい話をあの手この手で引き出さなければならないのだが、何かの間違いで本気で同情し「大変だねぇ…」とかのたまってしまうバカが出てくるのである。深刻なバグの発生だ。

その瞬間、初見借金奴の事は置いといて、即座にそのバカのお別れ会の始まりだ。もっとずっと一緒にいたかった隣で笑ってたかったーってなもんである。

 

そして三日後、悪いお友達との縁も切れ、新しい私デビューをしたソイツはこれからワンデイアキビューコンタクトと共に輝かしい人生を歩むのかとこじらせ組が嫉妬の炎に焼かれながら罵詈雑言のハーモニーを奏でていると世界に対しての逆恨みつらみを垂れ流しながらそのバカが戻ってくるのである。

即座にお帰り会の始まりである。

 

地球規模で自分勝手な生物、人間が仲良く手を取り合う為には共通の敵を作るのが一番と言うのは、精鋭なら幼稚園、凡人でも小学校で習う話であり、我々こじらせゾンビも日夜元気に会った事もない人間の悪口に大輪の花を咲かせているのだがやはり知らない人間では限界がある。食品サンプルが如何に完成度高くあっても実際の食物の足元にも及ばないように、なんかこう…物足りなくなるのである。こじらせの欲望と業は底がない。

しかしまともな人間は終末スラムに近づいたりしない為、共通の敵に出来る訳もなくどうするかと言うと…お互いを攻撃しあうのである。中国かなんかの失われし呪法、蟲毒が日本全国の寂れた居酒屋で行われているのだ。

 

こうして、仲のいい人にほど攻撃を仕掛ける愛情深いサイコパスへと進化するのである。こじらせの世界も日々進歩だ。

 

次の瞬間誰が敵に回るかも分からない世界でヘラヘラと日々を生きている為、ちょっとやそっとの事では動じなくなり、より感受性は死滅し、人の痛みが分からない人間になり病理は悪化、平和な日常社会への復帰が出来なくなると言うカラクリだ。

二十歳を過ぎたらスナックへ行こう~!だの、俺居酒屋で知らない人と喋るのが好きでさ~とかほざいてる奴は大体病気が進行してるので遠巻きに観察するぐらいに済ませておいた方がいい。学校のお友達と遊びなさい。

 

浮気された女は、他の恋人や夫婦の全ての行動を「それ浮気してるからだよ」とこじつけてまわり、悩みを抱えて慰められた奴は「私を優しさでダメ人間にして楽しいですか!?」とブチギれ、特に何もない奴は「まぁ結局みんな死ぬんだけどね」と極論ボールを投げつけてまわる。

困ったことに実際に浮気してる事があり、ダメ人間にするのが楽しい場合があり、結局みんな死ぬので「結局あたし達が正しいのよねぇ」としたり顔で熱燗をイッキすると言うどうしようもない結末を迎えがちであり、誰もこじらせゾンビを倒せない。

 

完全無欠、否定のしようもない程幸せな人間がいれば全員血ヘドを吐いて大地に還ると思われるが、悲しい事にそんな人間は存在しない。

こじらせ組は悲劇を悲劇として捉えご飯をモリモリ食べるが、お前らは悲劇を美談として捉え涙を流しながらありがてぇありがてぇとパワーストーンをモリモリ食べる為、今現在文句なしに幸せな人でも過去の不幸の部分とかだけをクローズアップしがちであり、そんな事をされれば「都合の悪い事を全てシャットアウトする」と言う神の叡知の結晶としか思えないスペシャル機能を搭載したこじらせアイが「今の幸せ」の部分を見る訳も無く。

「今は幸せとかほざいてるけどさぁ~今日明日だよねぇ~」等と無根拠にゲラゲラ笑って次の日には忘れてると言うのが常である。世間も美談にし終わった奴等の今後の事など忘れてる筈なのでこれは仕方がない。

 

エスキリスト、ジャンヌダルクの時から粛々と続く美談にする為に悲劇をクローズアップする風潮が我々こじらせーズを不滅なる者へと成長させたのである。

そして、悲劇が大好きな我々はそれを美談に無理矢理変えようとする奴等を許す訳もなく「美談にする奴ぁいねぇがぁ!?」と美談ナマハゲへと突然変異する。

こじらせの世界も日々変化である。

 

ずっと隔離されていて、たまにバイオテロを引き起こす以外は問題なかった筈の病原体共であるがネットの発達によりえらい勢いで被害を拡大している。結構由々しき事態である。

僕が住んでいる下町スラムの古き良き老害共はネットに比較的疎い為、それでも居酒屋でだべり続けているのだが、Facebookスマートフォンの台頭と言う合わせ技により風向きが変わってきた。

気軽に出来るネットと地域密着の癖にコミュニティの範囲だけ拡大すると言う糞仕様のFacebookにより、「知り合いだけ集めたネット」と言う地獄環境に身を置く奴等が爆誕、増殖してしまった為、Facebookで争いながらリアルでも争うと言う次元を越えた…いや、二つの次元を利用したニノ国みたいな戦争状況に陥っており「Facebookの投稿みた!?」とか言われた時には何事かと思った。

 

面白そうなので他人の名前で登録し、軽く覗きに行った所、個人ページでやりあうだけならともかく店舗のアカウントのページで戦いを繰り広げてるパターンもあり、まさに地獄絵図であった。個人から団体へと敵視の範囲が拡大したと言う事は「あそこは敵性店舗」みたいな感じでたまたま目についた居酒屋に入ったせいで裏切り者扱いされる危険性も出てきたと言う事である。

まぁそれを差し引いても面白そうなのでいいぞもっとやれと思っているし、隙あらば「敵性店舗」に厄介な酔っぱらいを引き連れて出向きたい。

俺たちの戦いは永遠に終わらない。世界に出る日も近い。