その殺意…曲がるよ。

はてなブログさんが提示してきた今回のお題は「遠くへ行きたくなってきた」だ。

 

お?ツイッターメンヘラごっこか?とスナイパーライフルを構えてしまったが、よく考えれば恐らくコロナ自粛がつらみ~みたいな意味だろうと思い直し引き金を引いた。

 

人間なんて気付いたら宇宙に飛び立って周りの会話を聞き逃し「え?あ、はい、そうっすね!(分かってない」みたいなのを繰り返し気付いたら取り返しのつかない窮地に陥り地獄に落ちると言う空の果てから地の底まで一瞬で駆け抜けるような生き物だと思うし今更これより遠くってどこに?と思ってしまうが、やはり左右に動きたいのだろうか?

 

さて、それとは関係なく今回は殺意の話だ。

 

みんな、好きだろ?殺すの死ぬのの話が、さ。

遠くへ行きたくなってきた。もコロナが蔓延さえしてなければ自殺の暗喩であるし、コロナでカモフラージュされてるだけではてなブログさんは「ねぇねぇ死にたい?今死にたみある?^^」と普通に問いかけてきてる可能性もある。

 

殺意を放ってしまう人間は勇気の数だけいるのだが、無理やり大きく分類するなら概ね二種類に分けられる。

一つは明確に怒りや嫌悪と言った感情を持つ事によって「これが…殺意?」と言う気付きを得た後、それを磨きに磨いて相手に殴りかかる秀才トレジャー型。

もう一つは、別に恨みも何もないのに気付いたら殺意を放っている生まれながらの切れたナイフ、天が一人に一つ特別なヴェルタースオリジナルを与えたんだとしたらオレが貰ったのは殺意だなとしか思えない天才ギフト型である。

 

この腐敗した大地で自ら殺意を呼び起こしたトレジャー型と、神からの贈り物として殺意を抱いているギフト型は全くかみ合わない。

手段と目的と言う大きな乖離があるので仕方がないし、殺意の秀才と天才が手を組んだと言う少年漫画の帯みたいな状態になったとしても待っているのは悲劇だけである。

たまたま殺意の矛先が噛み合ってしまった場合、最終的な結末は「秀才型が満足したにも関わらず、満足と言うのものを知らない天才型が暴走、秀才型の殺意が天才に向く」と言う昨日の友は今日の敵パターンか「天才型が飽きて突如梯子を外し、その梯子でなんとなく秀才を一殴りしてパフェとか食べに行く」打ち切りパターンのいずれかしかない。

 

そもそも天才型が持っている殺意は神からのギフトであり、人間の手に負える代物では無いので、その気も無いのにすれ違った人全員の首を狩り、ネックレスを拵えてしまっていたみたいな感じになりがちである。

この例えるまでも無いただの化け物が闊歩しているとなると当然善良な一般市民は恐怖で震えあがってしまうのだが、ここで勇気を出して「そういうのやめてください!!」と声をあげると無自覚に触れる者全てを傷つけていたガラスの殺意が明確に牙をむいてくると言う当たり屋みてぇな仕様になっている為、現状逃げるか権力によるBAN以外に対処方法が無いのが現状だ。

 

「殺意なんてぶつけ合いたい人達だけで勝手にやってればいいじゃない!!」と言うド正論がたった今怪電波で僕の耳に届いたが、殺意を標準装備してる人間はそれに慣れ過ぎている為、基本殺意に対する耐性がバチ糞に高い…訳でも無いのだが、少なくとも死なない。カメムシは自分の匂いで死ぬが、神からのギフト持ちはそこまでヤワではないのである。

と言うか、ヤワなギフト持ちは「その気も無いのに人を傷つけてしまう心優しき化け物」と言うどう足掻いてもバットエンドしか迎えようのない人生を約束されているので大体とてつもなく静かに穴倉とかで暮らしている。

 

とにかく、殺意を持つ者通同士はお互い倒れずに三日三晩戦い続けた挙句なんか仲良くなってたりして一人でも手に負えなかった輩が背中を預ける戦友を得て360度カバー出来るようになったと言う悪魔合体を成功させてしまったりするので基本「あ、この人…殺意高いな」と言う人を身近で複数見つけたら絶対に引き合わせない事をおススメする。

仮に物凄く相性が悪く、見つめ合った瞬間心と心で伝わる殺意…とゴングも待たずに殺し合いを始めたとしても当の二人は無傷、余波で近くにいたコオロギが死ぬみたいな事になりがちである。

 

また、秀才型は是非はどうあれ本人なりの恨みを元に殺意を振り回しているのでともかくとして、天才型はそこまでの熱量が無い事が多い。

恨んでいるかどうかで言えばそれは恨んでいるがでもどうでもいいよねと言われたらまぁどうでもいいと言えなくもないみたいなとてもナイフとは思えないフワッフワッした動機な事が多く、1500年続く因縁の戦いをするような巨人族的ガッツは持ち合わせていない事が多い。

動機にこだわらない分、妙な柔軟性があるので「ちょっとトイレ」ぐらいの気軽さで突如蛇腹剣の如く軌道を変えて近くで鼻をほじってた人の顔面にエキサイティンシュートが決められる事もあるので、明日は我が身と常に思っているぐらいで丁度いいかも知れない。

 

と言うか「さ、今日も張り切って殺意を出すぞ~!」と思ってる訳でも無いので、全ては気分次第だ。

僕も「殺意の主です~」とかこいてはいるが、実際の所周りがそういうので乗ってあげてると言う意識が強く「全然殺意ないよ~」と言われ続ければ優しい言葉をかけられ続けたトマトよろしく「俺は殺意から解放された…!!」と思う筈だし、お母さんにも電話する。

ギフト型は殺意を放出してしまうだけで、素の性質とはまた関係ないのですっごく心根の優しい殺意の強い奴も存在するし、当然「キミってこうだよね」と言われたからその通りに行動してしまうサービス精神旺盛なギフト持ちもいるのだ。

 

自分を持っていないとも言えるが、なにしろ神からもらった一物は殺意なので自分の入り込む余地はない。

では殺意を放出する理由も無いかと言われれば、それは聞かれればベラベラ出て来るので「オラ興味あっぞ!」と言う悪趣味な方は聞いていただければ、多分殺意がそっちに向くと思うが運が良ければ100円いれた玩具ぐらいうるさく喚きだす筈である。

 

こちらも二つや三つの幼子では無いのだ。

社会的に理由も無く殺意を出してる奴がやべぇと言う事は理解してしまっている為、理由の捏造ぐらいちょちょいのちょいである。

ついでに理由を捏造していると「本当にそいつが憎くなってくる」と言う単純さを持ち合わせてる場合もある為たまたま嫌いな奴がターゲットになったのでこれ幸いと自分の手を汚さずに確実に始末したくなった場合は一か八か動機を聞きに行くべきである。

リスクも背負わずに殺意の操縦は出来ない。

 

そして(殺意を)持たざる者が殺意を(持つ者)を憎むように、逆もまた然りである。

持たざる者が憎しみを持って「そういう事言うのマジやめろ!」と言うと、こちらの殺意カウンターが反応し「おっ、おめぇ強そうだなぁ!!」と嬉々として向かって行ってしまうのでスルー安定であるのは先に言った通りだが、じゃあ泣き寝入りしろと言うのかと言うと…実はそうでもなく、世の中は基本被害者の方が強く出来ているのではっきり言って殺意ギフト持ちとか社会的に雑魚もいい所なのでちゃんと立ち回れば完封する事が可能である。

 

完封した相手の殺意はどこに向くかと言うと、それは遠く…遥か宇宙へ飛んでいく筈なので、気が向いたら夜空を見上げてみてほしい。

綺麗な星が一つ、瞬き燃えている筈である。

 

それでは俺の腹の虫が収まらんと言う方はもう少し眺めていてくれれば、無様に地に堕ちる姿も目撃できるかも知れない。

地に落ちた星がどうなるかと言うと、元気に近場にいる奴に殺意を放ち始めるので後は繰り返していれば100年後ぐらいには殺すことに成功する筈である。

何事も地道な努力が大切だ。

 

 

 

聖剣をゴミクズに変えて。

整理整頓、掃除。そう言った類の事が死ぬほど苦手である。

死ぬ時すら何の準備もせずにあらゆる方向に汚れを飛び散らせ、後を濁しまくってこの世を去り、最後まできたねぇ奴だったと思われる気がしてならない。

花火になる程の潔さすら持ち合わせていない気がする。

 

世は大コロナ時代、右も左もマスク自粛大顰蹙とてんやわんやしているらしいが、中には「せっかく家にいるのだから掃除しちゃおっ」と言う思考を持てる人間もいるようだ。

意味が分からない。時間がぽっかり出来たのならその貴重な時間をフルに使って虚無を見つめるのが忙しい現代人が取れる一番贅沢な時間の使い道の筈である。

まぁ僕の家は散らかり放題で見つめられる虚無すら無い状態なのだが、とにかく虚無を見つめると言う時間セレブごっこを楽しむ誘惑を断ち切り自宅の掃除をしようとは並大抵の精神力では無い。

民意を聞く限りでは「コレダカラ老害」と「コレダカラゆとり」しかいない筈の日本はどこに行ったのか。

案外きたねぇのはデジタルネット社会だけでアナログリアル世界は下町スラムを除いて結構綺麗なのかも知れない。

 

では、せっかくなのでノるしかねぇ、このビッグウェーブに!と言いたい所だが、そうはいかねぇんだな、これが。

ゆとりなのは精神だけで体はおじいちゃんなので迂闊にビッグウェーブに乗ろうとしても溺れ死ぬだけで終わってしまう。お前が死ぬなら立派な掃除ぢゃん?と僕の心のギャルが携帯をいじりながら吐き捨ててくるが、死はよくない。ビッグウェーブに攫われて死ねば死体も残らないし完璧な掃除感が拭えないが、死はよくない。なんかで読んだ。

 

気持ちはある。気持ちだけで言えば一日500回は掃除しているし、なんなら綺麗な部屋に住んでいる。

それにこの世には部屋を綺麗にする術を記した書物がゴロゴロと転がっており、それらを読みその通りに実行すれば部屋は綺麗に出来るようになっている。

つまりその気になればいつでも部屋は綺麗になると言う事で実質部屋は汚れていないとも言えるし、既に綺麗な部屋を更に綺麗にしようと言うのは一休さんぐぬぬとなってしまう無理難題であるし、そういう過ぎたビューティー思考が行きつく先はスリムボディと見せかけた骨と皮だけみたいな惨状である。

 

まぁ今カタカタとキーボードを叩いている手を止め、ちょっと首を右に回せばゴミがこんにちはしてくるのだが、これはアルコールが見せる幻覚であろう。

よしんば現実だとしてもアレは僕の記憶にないだけで死んだおばあちゃんがくれた大切な雪コーの空きパックかも知れないし捨てるなんてとんでもない。既に来世でシャーマンになっているお婆ちゃんに呪われて死んでしまう。死は良くない。

 

掃除が苦手と言うか、整理整頓が無理なので「ゴミを捨てる」と言う行為はまぁまぁ出来なくもないが、「必要な物をいい感じに配置する」と言う事は絶望的に出来ない。

そして必要な物がよくない感じに配置されてる部屋はなんかきたねぇのである。

このクソみたいな特性はリアルだけでは無くゲームの世界にも持ち越される。

剣と魔法を巧みに使い、陸海空問わず旅を続け、愉快な仲間と共に世界を救う勇者になろうが中身が僕なので整理整頓は当然出来ない。

死者すら蘇らせる事が出来るのにカバンの中の薬草×99と言う文字列をどうにかする事が難しい。

 

ゲームをやらなくなるタイミングは色々あるが、僕にとって一番多いパターンがアイテムの整理が出来なくなった時である。

それだけでやめるとはならないがモチベーションが異常に落ちる。

FF14もアイテム欄が一杯になった瞬間に「もうこれ以上アイテムが増えるのはやだお!!」とダンジョンに出向くのをやめ、最終的に手持ちの装備を今身に着けているものを除いて全て捨てると言う暴挙に出た。

FGOも概念礼装だの種火だのが貯まりに貯まった瞬間にやる気スイッチがOFFとなったし、メギト72もオーブが所持数最大になった瞬間にせっせと回していた無料ガチャを放置、プレゼントボックスに積もって行くオーブ類は見て見ぬ振りを続けている。

 

整理整頓は、才能である。どう足掻いてもスキップが出来ない人間がいるように整理整頓がどうあっても出来ないと言う事もある。

なぜなら才能が無いので。才能が無くても諦めたくない!!と言う人は伝説の片づけ人(かたづけびと)を師匠につけ、瓢箪で酒を飲む師匠を頭に乗せて岩石を小指で砕くみたいな修行の末に家と上司を掌底で粉砕、キレイさっぱりこの世への未練を片づけるみたいな真似をしてもいいと思うが、僕にそこまでの気骨はない。なぜならゆとりなので。

 

まぁ掃除なんて出来なくても死にはしない筈である。

積み重なりまくったBL本タワーがある日倒壊、二次元のイケメンの群れに押しつぶされて圧死、母親が大量のアナルセックスの下から息子の亡骸を発掘と言う地獄が繰り広げられる可能性はあるが、多分大丈夫な筈である。

 

しかし、ゲームの世界では僕は割と勇者している方である。

片づけも出来ない勇者に殺される魔王の気持ちを考えるともうちょっとマトモな人間性を持ってあげた方がいいのでは無いかとも思う。

魔王の城はたまに片づけてない骸骨とかが転がっているが基本的には綺麗だし、あまりにも埃っぽくて城に乗り込んだ勇者御一行がハウスダストアレルギーを発症、咽すぎて勝負にならないみたいな事案は見た事が無いし、魔王一家がせっせと広いお城を掃除している筈である。血とか、無いことが多いし。

魔王が昨日食った唐揚げの油で勇者が転倒と言う事故も今の所僕の知る範囲では起きていない。ちなみに僕は落とした春巻きの油で軽く滑った。

出来なくても問題は無くても、やはり何事も出来ない奴より出来る奴の方が偉いし、広いお城を清潔に保っている身としてはぽっと出のだらしねぇ勇者に殺されては無念が過ぎるだろう。無念と言うのは恐ろしい。

基本勇者を邪魔しに来る亡霊系の敵の類は無念から産まれている。

つまりいらん無念を魔王に与えると倒した筈なのに華麗に復活、世界は再び闇に包まれたとなってしまい、3辺りまで話が続いてしまう。するとどうなるかと言うと大体のシリーズは3まで続くと駄作になるのだ。

 

僕が掃除が出来ないばかりに一つのファンタジーが駄作に変わってしまう危険性があると言う事だ。

 

掃除が出来ないデメリットは他にもあり、かの有名な竜王口説き文句「世界の半分を貴様にやろう」等も迂闊に乗れなくなる。

世界の半分もくれるんすか!やったー!!と本来なら無邪気に喜べるシチュエーションの筈だが、こちとら自室一つ清潔に保てない勇者である。

世界の半分を管理は出来ないし、世界の半分をゴミで埋め尽くし、知らない間に竜王の領地にもゴミがはみ出し「ちょっとーちゃんと片づけてよー。こっちにまでゴミが来てるじゃーん」と言う苦言に「分かってるよ!!」と逆切れをカマしながら更に陣地を広げていくと言う結果になりかねない。

雪見だいふく一つ分けてくれと言われただけでブチ切れる人間と違い、広い心で世界の半分をプレゼントフォー・ユーしてくれた竜王様に申し訳が立たない。

 

メロスは決意した。すぐにでも邪知暴虐のゴミ共を除かねばならない。と言いたい所だが、やはり掃除は難しいのである。

 

世界の創造主たる神すらも「なんか人間増えすぎてっから消さね?」と整理整頓出来ねぇ奴がとりあえず片っ端から全部捨ててみるみたいなメンタルで動く時代である。

神ですら出来ない物を僕風情が「必要な物」「不要な物」をちゃんと分け、必要な物をインスタ映えするように並べる等出来る訳が無い。

 

だが、何事も小さなことからコツコツとと言われている様に出来る事から始めるのが大切であろう。

とりあえず、剣と魔法を武器に魔物を片づける所から始めようと思う。

 

 

わくわく暗殺計画

久々にはてなブログさんを覗きに来たが、相変わらず「袖を通したいあの服」だの「おうち時間、慣れました?」だのと言う眠たくなるテーマで文章を募っているようだ。

いつ訪れても変わらない安心感、ここが俺のホーム…。

 

実際毎回毎回、所謂人間の排泄物に近いテーマを出してますなぁとおちょくってはいるものの、はてなブログさんが突如として覚醒、ナウなヤングにバカウケなハイセンステーマを掲げだしたら「いいえ、草に寝転ぶあなたが好きだったの」と思ってしまうだろうから一生このままでいてほしい。

常に「こいつは俺より下」と思える存在があると言うのはメンタルのヘルスにとてもよいのである。

 

さて、お前ら。夢は見ているか?

常日頃から「腐男子である」と聞かれても無いのに吹聴してきたが、最近になって「腐男子と言うより夢男子なのでは?」と言う疑惑が降って湧いてきた。

どこが違うのかと言うと、分かる人には説明はいらないだろうし、分からない人には懇切丁寧に語った所で「私は自分の事をずっと右の鼻の穴出身の鼻毛だと思っていたが、実は左の鼻の穴出身だった」ぐらいどうでもいい説明に感じてしまうだろうから割愛する。

その上で一応伝えておくと僕は「オリジナル主人公(自分では無い)」タイプの夢男子である。

 

夢創作の一番いい所はサクッと自分、もしくはオリジナル主人公が物語の中に乱入、恋愛から世界再生まで暴虐の限りを尽くせる所にあるのだとは思うが、僕はしがない小市民に過ぎないので「推しが一回だけ立ち寄った喫茶店の店員。会話は別にしない。」みたいな超遠距離ドリーム射撃を繰り返している。

一番最近した最新の夢創作は推しでもなんでもないキャラの靴下にほかほかのご飯を詰める、だ。

これは夢なのか?と不安に思い、有識者に直接お伺いを立ててみた所「うん、それは夢だね」と真っ直ぐな肯定を貰った為、思ったよりも自由度の高い世界である事が判明した。流石は夢である。そら猫も杓子もラッパーも夢を語るわと言った感じだ。

 

ここまで自由度の高いドリームランドが世界を覆い尽くしていないのが疑問だが、今に大量のギャルが参入、世界は紫色のヘドロに包まれたとなっても可笑しくは無い。

ギャルより先にドリームランドに潜入していたと言うのに雨ざらしの煎餅みたいな妄想しかしてなかったとなっては情けないので、あいのりの桃が取り上げ一大ブームとなる前に一つドカンとでっけぇドリームをぶちあげたいと考えている。

 

しかし推しをあまり弄繰り回すのは性に合わないので、ここは嫌いなキャラを好き勝手する方向に舵を切りたいと思う。

推しなんてのは放っておいても公式がいい感じのを出してくれるので僕が手を出す事は無い。

それよりも嫌いな奴だ。

 

会った事も無いイケメンとセックスが出来るドリームランドでやる事が嫌がらせと言う現実となんら変わらない有様に百年の夢も醒めそうになるが、「会った事も無いイケメンとセックス」「会った事も無いイケメンに嫌がらせ」どちらが親が泣くか考えたら恐らく前者だと思うので、ここは一つ突き進ませていただきたい。

 

ターゲットとなるのはあんさんぶるスターズと言うゲームに登場する天祥院英知だ。

なぜこいつが嫌いなのかを語ると夢に入る前に六法全書ばりの分厚さの文章が完成してしまい「もうそれで殴ればいいんじゃね?」と言う「リアル!!」としか言いようのない結末になってしまうのでここも割愛する。

ドリームランドは切り貼りが可能なのがいい所だ。現実だとこうは行かない。

 

天祥院英知がターゲットとしてふさわしい理由として外せないのが「合法的に殺せる」と言う所がある。

どんなキャラにも当然ファンがいるもので、勝手に殺してしまうと嫌いだからと言う真っ当な理由があった所で暴徒と化した取り巻き達がグーグルプレイカード片手に家に押し寄せ、原型も留めない程に切り刻まれてしまう可能性が高い。

しかし天祥院英知は病弱設定のキャラであり、聞いた所によると夢小説内でも圧倒的に病死率が高いらしい。

 

つまり俺と天祥院英知がラブラブになれば、天祥院英知は病死、オレが世界一綺麗な涙を一粒流してハッピーエンドと言う事になる。

愛情さえあれば殺してもセーフなのがオタク界隈だ。なんなら褒め称えられる可能性もある。倫理観を母のおなかの中に置いてきた奴で無ければオタクにはなれない。

 

また天祥院英知は財閥の御曹司であり敵に回った時だけやたらと頭の回転が速いと言う厄介な特性を持っているので正面切って殺そうとしても恐らく失敗する。

成功したとしてもそんなのはもはや天祥院英知では無いし、影武者を殺して満足している僕の背後でほくそ笑む天祥院英知のカットが入ってfinとなってしまうだろう。

 

だが、病弱設定の奴の恋が叶う=死と言うのは古代ローマより続いてきた伝統であるし、現代は忙しい社会人の為のコンテンツが溢れている超スピード時代だ。

夏の30日で東大に入れるしダイエットも出来る。出会って5秒でバトルもする世の中なので付き合って5秒で死となるのは当然であり、逆にこれ以外に天祥院英知を殺す方法は無い。

なんとか天祥院英知を俺に惚れさせなければならない。

 

問題が僕が全然天祥院英知が好みでは無いと言う事で、恐らく天祥院英知はそこを見抜いてくる。純粋さ100%で好意を寄せた友達すらも「利害の一致」と勘違いして切り捨てた糞鈍感人間不信野郎である。

こちらは200%のラブパワーを発揮していく必要がある。

中々難しい問題である。ジュディオング御代なら好きな男に抱かれながらも別の男の夢を見る事も可能であるが、僕はまだその領域に達していない。

 

しかし、こちらも伊達や酔狂で26年生きてきた訳ではない。

前途した通り僕は厳密には自分では無い主人公をドリームに送り出すアバタータイプの夢男子だ。

つまりジュディオングを送り込めばいい。

 

オング英知カップリングである。

プロっぽく言うと英オンだ。

 

だが、オングは実在の人物であるし、天祥院英知と絡ませるのは多分畑違いと言うか、クロスオーバーに当たる気がする。ドリームランドの一部として認められるかは微妙な所である。

オリ主。オリジナル主人公をキチンと用意せねばなるまい。

 

つまり「オング←英知←オレ」だ。

傷心に付け込むのが恋って奴だと何かの頭よさげな書物で読んだし、オングにフラれた英知に優しくしてやれば恋に落ちる音が響いたと同時に心臓も止まるだろう。

問題はオングは強い男に抱かれながらも優しい男の夢を見れる母なる海系女子であると言う事だ。

英知一人ぐらいなら当然の様に懐に忍ばせる程度の度量は持ち合わせているであろう。

みんなも知っての通り、オングは恋であり海なのだ。概念系女子だ。

並大抵の事は全て飲み込む。

これではやはりオレが付け込む隙がないではないか!となってしまうが、僕は天才なので当然対処法を考えてある。

 

オングですら手の負えない男をもう一人登場させればいいのだ。

これが出来るのが夢創作の強みであり、生かさない手は無い。

オングをどうこう出来るとなると相当限られてくるが、ちゃんと探し出してある。

海特攻系男子ことモーゼである。海を割るほどの男であればオングの強靭のハートにもずっきゅんぶらすとをキメる事が可能である筈だ。

 

つまり「モーゼ←オング←英知←オレ」だ。

なんて完璧な布陣なんだ…いっそ美しさすら感じる。

 

あとはなんやかんやあって英知とオレが付き合えば英知暗殺計画はミッションコンプリートとなり、僕は英知を殺した男としてノンフィクションに取り上げられる事だろう。

大量のギャルがドリームランドに流れ込んできたとしても「え?俺の事知らない…?モグリだね」と髪をファサる事が可能だ。もう何も怖くない。

 

「モーゼ←オング←英知←オレ」の一方通行シチュは地雷です!!と言う過激派オタクが南に向いてる窓をジャッキーチェンばりの勢いで叩き割り部屋に乱入、レースのカーテンで絞め殺してきたらどうしよう…と言う不安も少し残るが、リスクも背負わずに伝説を作り出す事は出来ないのである。

 

 

 

最後の切り札

はてなブログさんが掲げる今週のお題は「満足感まで買いました」だ。

シンプルにうざくて笑っているが、もしこのお題に毎回従う変な人がいたとしてこれを見て普通に「あっ、あの時の買い物だ!」ってなれるのだとしたら羨ましい話だと思う。

そもそも満足感が得られたかどうかまで意識が行くのは結構お高い買い物に限ると思うので、ホットケーキミックスを買ったはいいが作るのがめんどくさくて賞味期限を切らすとかやってる身では到底参加出来そうにない話題である。目が欲しがるんだ、ホットケーキは。

 

話は変わるが、最近自分がオタクかそうじゃないかで悩んでいる。

今までは「オタクではない」と即答しており、これは「オタクなんかと一緒にしないで」と言う傲慢な感情からではなく、オタクだと言えるほどに精通している知識が一つも無いですよと言う意味であり、「アニメや漫画を見る」と言う趣味も無かったのでアニメや漫画を好んでいればオタクと言う枠組みも一緒くたに否定出来ていたので何も問題は無かったのだが、最近困るようになってしまっているのだ。

 

まずゲームをするようになった。昔からゲームはすごい好きなのだが、思い返せば思い返すほど昔の思い出みたいなのばかりになり、最新ハードになると全くついていけなかったし、PS Vitaと3DSは買ったものの、各々ファイアーエムブレムダンガンロンパと言う目当てのゲームをやった時点で埃を被らせている。PS4も持ってるもののやってるゲームはファイナルファンタジー14だけなので「ゲーム」と言う大きな枠組みで語るのは誇張表現が過ぎるのではないかと思っていたのだが、ここ1年ぐらいソシャゲーに手を出してしまい暇さえあればピコピコしている。

そしてその影響で二次元イケメンキャラクターに嵌まり、チマチマとグッズを買い漁ったりしている。しかし、最近アニメ化したもののそれは未だに見ていないのがまだ自分の中でラインを越えていないのではないか?と言う感じになっている。ED曲のCDとかは買ったのだが。

 

このグッズを買うと言う行為が端から見たら「それはイエスオタク」と言う判決の材料になってしまうのでは無いかと言う疑念がある。逆にアニメを見ていてもそれだけなら「そこまでならノットオタク」と言う感じになる気もするのだ。

この手の作品グッズと言うのはコラボなりすればコンビニとかでも手に入るのだが、そうではない場合然るべきお店に出向き商品を手に取りレジへと向かい店員さんに澄んだ目で「くださいな」とお願いする必要があり、その筆頭とも言える然るべき場所と言うのがアニメイトだ。小学生でも分かる単純なネーミングで「あ、オタクが集う場所だ!」と指を刺される建物だ。昔スペックと言うドラマで一十一(にのまえ じゅういち)と言うセンスに溢れる恥ずかしい名前のキャラクターを神木龍之介と言う生まれてから今までずっとイケメンと言う嫉妬に質量があれば遥か昔に雷に打たれて死んでいそうな俳優が演じていたのだが、そこに「イケメンだがオタクでアニメイトに通っている」みたいな設定があった。イケメンで超能力を持っていて名前が一十一(にのまえ じゅういち)と言うどこを取り上げればいいのか全く分からない情報量の津波みたいなキャラクターでもアニメイトに通っていればオタクと言う側面が真っ先にピックアップされる程度にあの場所は人にオタクと言う属性を付与する力が強い。足を踏み入れればその瞬間あなたは世界からオタクと思われている訳である。誰も逃れられないし言い訳は効かない。オタク裁判が成されたとしてアニメイトに足を踏み入れた画像が提出された段階で有罪である。

 

そして僕もアニメイトに足を運んでセコセコとグッズを買っているのでワールドワイドな視点で考えれば有罪なのだが、僕が住んでいる場所は世間から切り離された下町スラムなので判決はもうちょっと待ってほしい。

アニメイトに立ち寄り、あらゆるコーナーをうろうろしているとかなら下町スラムと言えども完全に黒だが一目散に特定のコーナーにだけより目的の物を入手した瞬間にお店を出ればそれはやんごとなきお方からミッションを承ったエージェントの可能性も出てくるのだ。まぁ自分の意思で行っているのだが、自分の意思と言うのはつまり神のご意向と言う事でもあるので「百パーセント自分」とは言い切れない。

アニメイトで売ってるよと言う情報を手にいれたからアニメイトまで足を運んでいるだけで、別に角のタバコ屋で売ってるよと言われれば当然そちらに行く訳だし、実質アニメイトに行ってる訳ではないとも言える。

 

そんな訳でアニメイトでお買い物をしてレジの店員さんに「アニメイトのカードはお作りなさいますか?」と言う質問をされる度に「あたしそんなんじゃないから。違うから。今だけだから。」と言う気持ちでお断り申し上げていた。ヒプノシスマイクと言うコンテンツのデスリスペクトなる作品を購入した時の特典で手にいれたdポイントカードがあったしそちらを提示していたのだが、「あたしそんなんじゃないから」と断るやり取りがその週だけで4回目だった時があった。

「あれ?僕このやり取り…4回目だな…?」と思ったし、「転生したら小林だった件」と言う意味不明な名札も完全に見慣れた物だった。転生した癖に現代日本で小林だぞお前はと言われたら僕なら自害する所だが、あの店員さんは一生懸命働いてて偉いなってその週だけで4回思った。

そして、作ったのである。アニメイトカードを。だってその週だけで4回目だったから。

 

つまり完全に「お前アニメイトに行ってるよな」と問い詰められたら言い逃れ出来ない証拠を財布に忍ばせてしまっている状態だ。ナルホドウリュウイチも頭を抱えてそのままゲームオーバーである。

しかしオタクと言うとやはり「何かしらの知識に精通している」と言うイメージが拭えず「オタクだよね?」と言われて素直に頷く心づもりにどうしてもなれないのである。

自分の得意分野でだけ饒舌と言うキモい特徴としてあげられがちな部分は自分の得意分野ぐらいなら概ね記憶出来るし諳じる事が出来ると言う事である。これは地味にすごい事であり、優秀な頭脳をお持ちと言う事だ。僕には難しい。最近もゲームの登場人物の身長を1cm間違えていたし、新キャラの名前を覚えるのにも四苦八苦している。大阪ディビジョンの二番手の人とか漢字がモショモショしすぎていて全然覚えられない。いい加減にしてほしい。

この程度の能力でオタクと名乗ろうとは片腹痛い話だし、オタクなんですよと認めようとすれば即座にポケットからご先祖様が「それはいけない!!」と止めにかかってくる。

しかし相手からしたらすごいカジュアルに「二次元コンテンツ的な物が好きだよね?」ぐらいの感覚で聞いてる可能性もあり、この場合に違いますよと答えるのは完全に嘘つきであり、将来死んだときに閻魔様に舌を抜かれる羽目になってしまう。つまり相手がどちらの意味で質問してるかを即座に見破り「はい/いいえ」を巧みに繰り出さないと地獄に落ちてしまうのだ。

 

そもそもそんなに「オタクですか?」と聞かれるか?と思うかも知れないが、これがめちゃくちゃ聞かれるのである。僕は見た目がゴミっているので、見た瞬間に「あ、こいつオタクや(悪い意味で)」と思わせてしまうし、その質問の返答次第で僕が地獄に落ちるとも知らないで「オタクなんだ?」とクエスチョンをさせてしまうのである。何気なく相手の地獄行きを確定させた罪でそいつも地獄行きである。僕に出会うとはそういう事だ。

 

毎回毎回「あ、えっと、アニメや漫画は全然見ないんですけどゲームは、ゲームと言ってもソーシャルゲームと言うスマホでやるゲームなんですけど、そういうのはやってて、でも別にオタクって言うほど詳しい訳じゃないんですけど、でもグッズとかは買うのでそういうのを貴方がオタクと判断するのであればオタクです」とオタク特有の早口で捲し立てるのもどうかと思うし、本当に困っている。

 

なので、最近はオタクですか?と聞かれたらニヒルな笑みを浮かべながらアニメイトのカードをチラッと見せようかと思っている。相手が分からないならそれはそれでいい。口角をあげたまま立ち去るだけである。お前には分からないようだな、と。

我々は何も忘れていない

忘年会が嫌なようだ。世間的に。

正確には自分が参加するのが嫌と言うだけで、我々のんだくれが路地裏でどれだけ何を忘れようが好きにすればいいと思われてる気がするが、とにかく我々酒カス共が忘却の道連れを欲しがっていると思われているらしい。

 

一人の酒カスとしては「それは違う!」と机をドンと叩いて主張したい所である。来たくないなら来ないのが皆幸せと言うのはちゃんと分かっているからだ。なぜなら義務教育を受けているので。

ではなぜこの様な議論が巻き起こるのかと言うと…と言うところまで書いて気づいたが「忘年会に誘われるのマジ無理なんですけど」的文言は腐るほど読んだが、忘年会は最高!みんな参加しようよ!的意見はあまり見た記憶が無いのでそもそも議論にはなっていない。忘年会は嫌だねと言う事でオリンピックよりも日本の心は一つになっている。

 

なぜこんな悲しい事が起きてしまうのだろう。部署の人数二人とかでない限り「この人とどうしても飲みたい」なんて事はそんなに無い筈である。よっぽど人生が辛く見えていて「全てを忘れさせてあげよう(慈愛の微笑み」みたいな気持ちに上司(仮定)がなってしまっているとかなら別だが、基本的には全員居ても居なくてもどっちでもいい存在の筈である。貴方が常日頃からウィットに富んだバラエティー豊かな話術で持って上司の毎日をディスカバリーチャンネルの様に彩っていると言うのなら別だが、何百何万と言う人間が何百何万と言う回数吠えている「酒の席なら本音で話せるとか嘘松じゃん」等と言う意見をツイッターでうだうだ言ってる時点で絶対にそんなに面白い人間ではない筈である。

飲み会はディズニーランドでは無いので行くまでは乗り気では無かった人間が参加した瞬間に寒いカチューシャを頭に着けてダブルピースを決めはしゃぎ回ると言う事も無いだろう。

つまり楽しみたい人間にしてみればむしろいねぇ方がマシなのである。

なのに誘われてしまう悲劇。多分「酒の席なら本音で話せる」とすら考えていない奴が貴方を誘っているので、この手の本当に誰か言っているのか既に分からない常套文句にケチをつけた所で始まらない。ここでどれだけスマートに飲み会を回避出来るか、もしくは乗り切れるかを皆様に伝授出来れば僕もベストセラー作家の仲間入りなのだが、僕は飲み会が苦ではない側の人間なのでそれは儚い夢である。むしろ誘われたら必ず行くので「あいつを誘うとどんな状況でも来ちゃうから軽い気持ちで誘うのはやめよう」となり誘われなくなったぐらいである。

結論から言えば「貴方が飲み会に誘われる程度にはまともな人間なのが悪い」と言う事になる。

飲み会に参加する毎に社会的にどうかと思われる発言を度々放てば「あいつの本音を解き放ってはいけない…永遠に封印しておけ…」と王家の墓碑に刻まれ貴方は平穏を手に入れる事が出来ると言う事だ。

 

この本音問題であるが、実際の所どうなのかと言うと、まぁ皆さんご存じの通り別にそんな事はない。酒があろうがなかろうが伝えた方がいいと思った事は伝えるし言わない方がいいと思った事は言わない物である。しかし判断力が低下した結果、普段なら言わない暴言を吐いてしまうと言う事は有りうる。

難しいのが「普段はそんな事言わない人が酒によって吐いた発言」が本音とは限らないと言う事だ。酒=本音が出ると言うイメージが固まってるとそう思われがちだが心に浮かんだ神からのお告げをそのまま伝えてしまっただけと言うパターンの方が多い筈であり、大体は放った本人すら「なんであんな事を言ったんだろう…」と死にたくなっているケースが多い。まだ本音の方がマシだった状態だ。

ちなみに酒を呑んだ程度で本音をベラベラ喋れるような人間はそもそも本音丸出しか、もしくは呑むと何も覚えてないと言う事が多いので本音を喋った所で無意味である。

 

僕も己の実力を見誤りグロッキー状態に陥る事はあるが、これは概ねその場にいる人間を信頼しているからで、仕事上の付き合いがある人物が多ければそうはならない。ぶっちゃけ本音がどうとかなんとか、ほぼ全て信頼と言う名の甘えであり、記憶を無くしても許してくれる、何を言っても許してくれる、或いはもうぶっちゃけどうでもいいと言う破滅願望の現れである。友達同士ならそれでいいだろうが、会社の忘年会でこれはちょっと不味いので全員がさして酔いもせず結局本音も出ないと言う結果に陥りがちである。そもそも本当に本音が出るとしたらまず「本当はこんなところ来とうはなかった」と言う時代遅れな名言が飛び出す筈なので和やかに終わった忘年会は全て嘘で塗り固められた宴であるし、無理矢理参加させられたと言う恨みは一生忘れないと言う忘れるつもりが怨恨を心に刻みつけると言う結果になる。

どう足掻いても忘年会と言う文化は消した方がいいとなってしまう魔のフローチャートに迷いこんでしまったが、我々は何かに託つけては酒を呑みたいタイプの人間なので絶対に無くしはしない。別に会社で忘年会をしなかった程度なら自力開催に持ち込むので会社の伝統的な何かは全て爆発して貰って構わないと言うか、むしろお前らの「誰も望んでいない忘年会」のせいであらゆる居酒屋の席が奪われてると言う現状はこっちからしたら「邪魔」以外の何者でもないのでもっと積極的に潰しに行って欲しい。

 

忘年会に限らず飲み会の楽しみとは何かと言うと、これは当然お喋りである。なのでぶっちゃけ酒は無くてもいい。別に飲まなくても6時間カラオケとか余裕だし当然お喋りも出来る。僕はお酒が好きなので出来ればあった方がいいが。

お酒が入ると全員の偏差値が下がり、結果として喋る事が何も無くても延々とお喋りを楽しむ事が出来ると言うメリットはあるかも知れない。実際同じ話題を延々とループさせてるお爺ちゃんとかはこのタイプなのかも知れないがこれは別に話題に困らないタイプからしたらメリットではないので「酒が好きではない」人のメリットを真剣に考えているが何も浮かばないと言うのが現状である。悲しいな。

逆にめっちゃくちゃ喋る輩を糞ほど呑ませる事で潰せると言うメリットはあるかも知れないが、大概のうざいおっさんは酔っぱらいはしても決して倒れないと言う不滅の魔物なのでこの退治方法はあまり効果がない。うざいおっさんはヤマタノオロチよりも凶悪なのである。

 

結局楽しくない、乗り気ではない飲み会は隅っこで般若心境でも唱えながら耐えるしかないのだろうか。

否、般若心境よりももっと楽しい事がこの世にはある。人の悪口である。テーブルの隅っこで適当な奴を一人捕まえて一緒に誰かの悪口を言い合えば軽く3時間ぐらいなら過ぎる。なぜなら人生は短いので。

「あの人すごい楽しそうですよね」とか声を掛けた後に「ぼく、あの人嫌いです」と言えば相手は「おぉ。嬉しいねぇ」となり仲間になってくれる筈である。後は楽しく談笑すればいい。もしかしたら相手が少しも乗ってこないと言うパターンもあるかも知れないが、その場合そいつはいい奴なので悪口ではない普通のつまらねぇ話でも乗ってくれる筈なので即座に方向転換、芸能人がガンになったとかそういう話でもしていればいいだろう。

僕もたまに全ての唐揚げにレモンをかけると言う嫌がらせをして飲み会を盛り上げる事があり、「この普通に過ごしてる人たちの中に内心罵詈雑言を吐き後でツイッターでつまらねぇあるある話としてレモンかける人嫌だよねとか誰の心も動かせないツイートをするのかなぁ」とか想像するとそれだけでビールが進む。

結局みんなオリジナルの楽しみ方を試行錯誤していくしか無いのかも知れない。

積極的にサラダを取り分ける「女子力ごっこ」等もいい。お皿も空くし、パプリカが上に散らされているパターンのサラダの場合それを人に押し付ける事も出来る。自分はなんか、アスパラの柔らかい部分とかエビとか確保出来るし、もしも相手が「勝手に俺の皿にサラダ盛るなよ」と雑魚の負け惜しみを心に秘めているかと思えばそれだけで元気になれる筈である。もしかしたら普通に「勝手にサラダ盛るのやめて」と言われるかも知れないが、それはそれで相手の本音が出たと言うことで当初の目的を達成した訳であり、華麗にミッションをコンプリート出来たと言うだけの話である。

何も気にする事はない。胸を張って帰ろう。

よーし、これで僕もベストセラー作家の仲間入りだ。

 

憧れの発狂

はてなブログさんが掲げる今週のお題なのだが、なぜか二つに増えている。好評で増やしたのか、余りにも活用されないから弾を増やしたのかは分からないが、糞を連ねた所で余計避けて通られるだけな気がする。ちなみにお題は「どんなニオイ?」と「ジェットウォッシャーは効く?」だ。よく分からないがggrksって感じだ。

 

はてなブログさんの事は置いといて今回はヒプマイさんの舞台化、そしてアニメ化の話をしようと思う。

最初はCDから始まる音楽プロジェクトと言う事で綺麗な立ち絵と数少ない楽曲だけで軽く2年ぐらい過ごすと言う若者向けっぽい楽曲とは裏腹にリハビリ中のおじいちゃんみたいは速度でチマチマ歩いていた筈のヒプマイさんがここ最近休憩も挟まずにキノコダッシュを繰り返しているのでそろそろ心臓麻痺かなんかで死ぬんじゃないかと思っている。

ゲーム化すると聞いただけでも「色気付きやがって」と思っていたのだが、漫画化して舞台化してアニメ化したらもう完全なる大三元、完成形である。

二匹目のドジョウと呼ばれる事を全く恐れてなさそうな類似品が出てきたのでここからは殿様商売も出来ないし、コーナーで差をつけろとばかりにぶっちぎろうとしているのかも知れない。

 

舞台化、アニメ化に賛成かどうかと言うと割りとどうでもいいのだが、普通にストーリーが一ミリも面白くないと言う欠点が全く改善されないままなので、正直どれもそんなに心踊らない。いいとか悪いとか以前の問題だろ!と思ったが、アニメ化!と言うニュースのリプライ欄を見に行くと言う愚行を犯した結果ファンの渦に巻き込まれて死ぬ所だった。

もう大喜びである。はしゃぎにはしゃいでおり、仮に僕も大喜びしていたとしてもアレを見た瞬間「おなかすいた。おうちに帰ってドーナツ食べるお!」となっていたと思う。

生きる希望とか…思わないじゃん…。

 

打って変わって大批判から始まった舞台化であるが、あれはあれですごかった。

見に行ってないので詳しい事は分からないが「見た目」に関してだけ言えば、多分現地で見たらそんなに大した事無いのではないかな?と思う。あらゆる2、5次元とやらの写真に言えるのだが、なんかむやみやたらと写真映りが悪いのである。バエていない。

俳優さん個人のトゥイッターに飛んで見れば分かるのだが、まぁ割りとイケメンの自撮りが散見される。そこにちょっと我々が生きる大切な地球では不釣り合いな髪型を装着し、離れて視る事が前提である舞台メイクをあしらえばあら不思議、なんだこいつ…と思ってしまう謎のコスプレ軍団の完成である。

同じ格好をした俳優個人の自撮りの方がちゃんと写っていると言う摩訶不思議な光景も見かけるので、あのセンスの無いポスターっぽい奴よりかはマトモなイケメンと呼べるであろう人物が舞台の上でワヤワヤしていた筈である。見ていないので知らないが。

 

ついでにアカバネディビジョンと言う「よりによってそこ?」と言う謎のディビジョンを繰り出し更にダンスバトルをさせるぶっとび具合でアレルギー反応を追加すると言う殺人コンボを繰り出してきた雀蜂みたいな運営であるが、エフェクトにも限界があるだろうし、別にプロでもない俳優が舞台の上でラップバトルをしても多分ひたすらに地味な絵面が続いておりますとなるだろうから正解だったと思う。見ていないので知らないが。

登場人物がラップをしたらエフェクト音と共に俳優がとんでもなく後ろにぶっ飛び壁を貫通するとかそういう演出があるならいいが、多分無いだろうし、それなら後ろでなんかワチャワチャ踊ってもらった方が退屈しないと思う。見ていないので知らないが。

いや、本当は見に行こうと思ったのだが、チケットが普通に外れたのである。お前ら見に行くんじゃん…と思った。

 

その点アニメの方はいくらでも表現方法があるので、恐らくドラゴンや狼が実体化するだろうし、幻影の軍艦から砲撃を食らったりもするだろう。遊戯王ベイブレードと揶揄される気しかしないが、ラップをしたらドラゴンが出てきたらめっちゃカッコいいだろ。

まぁ、アニメを見る習慣が無いので多分見ないと思うが、古の千年マイクを使った闇のラップバトルが始まり「観音坂死す」と言う次回予告があったらそこだけは絶対に見たいのでツイッターで大いに騒ぎ倒して欲しい。

 

そんな絶対に見逃したくない展開にならなくても、今の騒ぎ様を見ると常時情報が入ってくる気もするが。このファンの騒ぎっぷりにイマイチ乗れないのは普通に辛い所である。

本当にコンテンツは好きだし、そこらのファンよりグッズとかに金を使ってる方だと思うが如何せん生きる希望とは思わないし発狂しないし涙とか流さないし夢だと思ったりしないのである。逆に皆なんでそんな簡単に生きる希望を得た上で発狂し、更には涙まで流しておいて夢だと思うのか?

舞台を見に行こうと決めたのはぶっちゃけヒプマイ関係無くオリジナルキャラクターを演じる松浦司と言うダンサーさんのファンだったからなのだが、もしもチケットが当たっていたらその部分に関してだけ糞びびっていたと思う。

何しろ周りは皆いとも簡単に発狂するお手軽爆弾共である。突如両隣の人間が涙を流し始めたら僕も泣いてしまう。逆に一人だけ正気を保っていると「あなた、正気を保っているわね?」と問い詰められ、正気の人間がいると察知した狂人共に囲まれて「ヒプマイを直接血管に注入する」と言う脱法オペをされて発狂まで追い込まれる可能性まである。なぜなら発狂しているらしいので。

 

あと単純に周りの人間が恐らく女性だけであろうって事も単純に怖い。こういう話をすると大抵「いやいや男の人も結構いますよ!」と言われるのだが、今の所嘘率100%である。アタックに対する満足度より高い。

今までヒプマイコラボをしたスイーツパラダイスだとか、ラスピリとコラボしたあんスタのグッズショップが期間限定でやってるって言うアニメイトだとかに赴いたのだが、「いねぇじゃん(半ギレ」って感じであった。

四方八方女子ばかりであり、「あれ?この国ってこんなに男少なかったっけ?」って思った。だからってズコズコと帰ってきて枕を濡らすような事はしないが、単純に居心地が悪い。トイレとかちゃんとあるのか?

 

結局舞台化はやめて欲しかった…とか言えるのは行こうと思えば何の葛藤も無く行ける側の恵まれた意見であるのだよ、ワトソンくん。といらねぇ説教を繰り広げそうになってしまう。

 

読み返して自分でびっくりする程話が逸れていたので戻すが、そもそもの話ヒプマイさんってあの話の薄っぺらさで一体何をアニメにして何を舞台にして何を漫画にしてるのだろうか…。企業にこっそり頼まれたPR漫画よりも内容がないような「カルピスウォーター水素水割り」みたいな物の気がするのだが、僕が知らない所でアニメで毎週放送しても大丈夫なような土台のしっかりしたストーリーが展開されていたのか…?CDのドラマトラックを追っているだけだと概ねキャラクターの自己紹介しかされていないのでよく分からなかった。

更に最初の目的のよく分からないトーナメントが決着しても結局何も伏線が回収されず優勝した恩恵も「1億円」と言う小学生でも分かる部分しか読み取れなかったので、もしもこれがアニメやらで怒濤の勢いで回収されたらそれはそれで「なんやそれ…」となってしまいそうである。

 

ドラマトラックで思い出したのだが、ヒプノシスマイクと言うのは兵器や武器と成りうるものがおおよそ撤廃された世界で代わりに武器として産み出された相手の精神に直接干渉出来る政府が管理するやべぇ代物の筈なのだが、オオサカ、ナゴヤの各代表に郵送で届くと言うまさかの展開に鼻水が出た。高値で売れるから質の悪いチンピラに狙われ、違法ヒプノシスマイクとか言う闇の物品まで出回る程取り扱いには注意した方がいい物品の筈なのだが…。

アニメ化、舞台化、大いに結構だが、やはり不安が残る。ヒプマイちゃんのストーリー班を全く信用出来ないのである。信用出来るのは顔と歌だけだ。まぁ、顔と声さえ良ければ性格がどんなに屑でもモテてしまう世の中であるし、逆に何の問題もないと言う事か。

回転する愛

はてなブログさんが掲げる今週のお題は「グングン伸びる」だ。

今までは糞みてぇなお題だなとは思ってもあくまで糞と言うだけの話だったが、遂に意味が分からねぇと言う領域にまで足を踏み込んで来た。はてなブログさんも日々進化である。

 

こんな意味不明なお題は脇に置いといて今回はガチャの話をする。

リアルマネーをつぎ込んで電子のデータを買って何か楽しいの?と言う煽りの対象になるアレだ。未だに言ってる奴がいるのかは不明だが、かつては割りと言われていた気がする。

昔は僕もガチャの価値がよく分かっていなかったが、今なら即答出来る。めちゃくちゃ楽しい。

金を払ってイケメンを手元に誘致するのである。これが楽しくない訳がない。まぁもちろん無料でイケメンが手に入るならそれに越した事は無いのだが、それは不可能なのでガチャガチャするしかない。

決まった額を支払う事によって確定でイケメンが手に入った方が安定性もありこちらもお財布と相談がしやすくて助かるのだが、何しろ相手はイケメンだ。たかが魚の死体ごときが時価になる世界でイケメンの値段がはっきりしてる方が異常なのである。いくら掛かるかは分からないが、回せば必ず出るのだから実質確定ガチャと言う事にもなるし、そこまで悪い話ではない。そこまでと言うだけで十分悪いような気もするが都合の悪い事は全て「目を瞑る」事で対処出来るので何も問題はない。出来ないと言う奴は義務教育を終わらせてから出直して来て欲しい。

更にゲームの種類にもよるが、ガチャガチャして仲間を増やして世界を救おうみたいな世界観の場合、手に入れたイケメンは大体戦闘に参加してくれる。金で買ったイケメンが俺の為に人を殺すのだ。正にサクセス、幸福の極みである。

一度この人生の勝利者となる瞬間を体感したらもう元の生活には戻れない。新たなイケメンを求めて次のガチャへ、となる訳だ。

生活が破綻する程に金を注ぎ込んでしまうのも仕方がない。イケメンがいない生活に耐えてまでカップラーメンを啜っても無駄に生き長らえてしまったとなるだけだし、死ぬ直前に「ワシはなんの為に今日まで生きてきたのか…?」と虚無を抱えながら地獄に落ちる羽目になる。しかし生活費をガチャに変えればあら不思議、「僕が飯を我慢したお陰で手に入ったイケメン」と言うひと味違うイケメンを楽しむことが出来る。手に入らなかったらどうするの?と言う無邪気なキッズからの質問が聞こえて来るが、うるせぇ死ねと言う言葉を回答に変えさせて頂く。戦う前から負ける事を考える奴がいるか。

 

しかし、金を湯水の如く浪費して行かなければ万札に押し潰されて死んでしまうと言う切羽詰まった状況に追い詰められている石油王でない限りいくら生活を切り詰めた所で限界がやって来てしまう。ジャパンにおいて全ての金をガチャにつぎ込めば待っているのは国による差し押さえであり、イケメンも全てボッシュート、この世の終わりである。

どのイケメンを確保して行くかと言う取捨選択は非常に大切である。むしろ次のターゲットを決める時間も楽しんでいかなければならない。

新しく実装されるまだ見ぬイケメンの事も頭の隅に置きつつ、攻略サイト等とにらめっこして「このイケメンをゲットする為に金を貯める」と心に決め、その為にせっせとつまらねぇ日常をこなしていくのもまた一興と言うものだ。イケメンを使役する為の布石だと考えればモヤシもご馳走である。

 

そして目当てのイケメンピックアップガチャが開催されたと同時にシャンパンコールを繰り出すと言うのが黄金ルートなのであるが、ここで僕はミスを犯した。

最近僕が楽しんでチマチマやっているゲーム、ガチャがしょっぺぇ事で有名なFGOさんなのだが、無闇矢鱈と期間限定キャラが多く、前回のピックアップは1年8ヶ月前とかがザラと言う待つのも楽しみと言っても限度があるわと居酒屋で延々説教したくなるゲームなのである。そんなゲームにめっちゃ強い、確保しておくと色々と楽になると噂のスカサハスカディさんなるキャラがピックアップされたのだ。

女性キャラなので全く興味無かったのだが、サポートキャラなのもあって「手持ちのイケメンを強くする為にも持っておきたい」と言う欲もあり僕はガチャを回した。

過去に戻って自分を殴りたい。

性能に目が眩んで愛無きガチャを回すなど愚の骨頂、笑止千万の行いであった。

話し相手もいない真夜中に一人で思い付く限りの罵詈雑言を吐き散らかすと言うドラマティックな時間を過ごしたのだが、ぼっちの独り言を延々と文字起こしすると言う地獄のようなページを作り出しても仕方がないのでサクッと済ませる。「2万円溶かした」

 

なんてあっけないのだろう。あんなに苦しんだ時間が一行すら必要ない。「お前なんかいらねぇよブス!!」と世界で尤も低レベルな負け惜しみを吐いて失った2万円に思いを馳せながら買うイケメングッズ、実質無料である。マグカップを買いました。

 

しかし、この爆死ピックアップガチャが終了した後に即「イケメン二人がピックアップされるガチャ」が開催されたのである。悩んだ。そして6時間悩んだ末に気づいたらこの手が1万円を手放していた。

しょうがないのである。片方のイケメンは前回のピックアップが約2年前だったのだ。そんな激レアイケメンを見てみぬ振りは出来ない。性能だけを目当てに変な女に金を注ぎ込んだせいでイケメンを取り逃しましたなんてご先祖様に顔向けも出来ない。

この1万が足りなければ俺の命をくれてやる!!と思いながらガチャを回したら一回目でサクッと目当てのイケメンが出てきた。排出率0.400%のイケメンがサクッとである。

これが、愛の力と言う奴だ。

信じればイケメンは応えてくれる。悪い意味で課金にこなれてきて大切な事を忘れていた。

 

2万円は授業料だった。大切なのは、愛。イケメンを愛する心。もう性能なんかに目は眩まない。そもそも「そのキャラクターがいないとゲームに支障が出る」とか言うクソゲー仕様では無いし、いないならいないでどうとでもなる奴なのだ。

ならその女がよしんば出たとしてもそいつの枠にイケメンを置いた方が遥かに楽しいし、人生も薔薇色になろうと言うものだ。

今は手に入れたイケメンをせっせと育成中である。とても楽しい。

失った2万なんて来年にはどうせ忘れてるし、ここで2万を我慢しても何故か常に「金がねぇ」となるのが人生である。貯金が趣味、投資が得意とかでない限り多少1万2万を渋った所でどっかで必ずどかっと使うように出来てるし、ここで使っても何も問題はない。

大切なのは後悔するかしないかである。今回は愛の為に金を使わなかったので盛大に後悔しているし、なんなら今日もお風呂上がりの弟に向かって「お金返して…」と謂れのない返済を求めてしまったりしてしまったが、イケメンの為に追加で使った1万に関しては清々しい気持ちで一杯である。

 

心が欲望で出来ているので既に「次はどのイケメンを手中に納めようか…」とゲス顔を浮かべており、正月新キャラ実装とか言うのがあるんだろ?と弟に聞いてみたら「そうそう、何が来るのか知らないけどシャルルマーニュとか来るかもね」と帰ってきたので秒速で検索したらテイルズの主人公かな?みたいなイケメンが出てきた。流石我が弟。いい希望を持たせてくれる。

 

次の獲物は決まりである。もう性能だけを目当てに訳の分からねぇ女に諭吉を捧げたりしない。

これからは愛あるガチャだけを回すのだ。狙われたイケメンからしてみたら冗談じゃねぇ話かも知れないが、イケメンに生まれてしまった事を恨んで観念して欲しい。

絶対に逃がさない。